占星術とアロマをやっている緋彌華(himika)の雑記帳です。
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カテゴリ:雑記( 8 )
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2005年 09月 30日 *
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スキンを変えてみました。
今回はエキサイトさんにあるものではなく
Sun&Moon Blog さんのところからスキンをお借りしました。

エキサイトのブログ用のスキンを
配布してくれるところがあるなんて
今日、はじめて知ったので、ほんと感激です♪

どうもありがとうございました♪


追伸:
写真は、実家の庭のカボチャの花です。
ぜんぜん関係ないんですけど。。。
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by himika-s | 2005-09-30 23:59 | 雑記 *
2005年 06月 24日 *
とうとう私のところにも蓮の花さんから回ってきました。
といっても、私自身は回ってくるまで、この「Musical Baton」の存在すら
知らなかったのですけど、あらためて、まわりのブログを見渡してみると
いま、すごい勢いでまわっているんですねぇ。

というわけで、さっそく本題に入っちゃいます。


Q1 コンピューターに入っている音楽ファイルの容量

これ、どうやって調べるんでしょ。
ローカルディスク全体の容量と、一曲一曲のサイズの大きさは出るものの
音楽ファイル全体の容量は足し算されて表示されないんですね。
曲数としては300曲から400曲くらいPCには入れてます。
一曲が1MBから10MBくらいのものまであるみたいなので
それでだいたい概算出してくださいって感じでしょうか。


Q2 今聴いている曲

よく聴いているのがReinmusikさんのところから出されている
オリジナルCDを聴いてます。
優しい気持ちになれる曲がたくさんあって大好きです♪


Q3 最後に買ったCD

最近、CDを買っていないので、どれが最後か記憶にないのですけど
エンヤフォー・ラヴァーズかなぁ。
「冷静と情熱のあいだ」のテーマ曲ということなんですけど
映画は観ていません。^^;


Q4 よく聴く、または特別思い入れのある曲5曲

よく聴く曲はQ2で答えちゃいました。^^;

5曲って限定すると、なんだか困っちゃうんですけど
まず、メインサイトで使わせてもらっている「蓮華」の曲は
ReinmusikさんのところのオリジナルCD「Floral air」の中の
「れんげ」を特別にアレンジしてもらったものなんです。
なので、これは、ほんとによく聴きますね。^^

あと、メインサイトの中のEssayで
春の夢で使わせてもらっているmidiは
やはりReinmusikさんのところのオリジナルCD「Floral air」の中の
「ゆめ」を特別にアレンジしてもらったものです。

他にも好きな曲や思い入れのある曲はたくさんあるんですけど
あとは選べないので省略でもいいかしら…^^;

最後にエンヤの曲の中で一番好きなものは
「ATHAIR AR NEAMH」(ヘナ・レ・ナム)。
静かな祈りを感じさせるメロディが好きだったんですけど
あとで日本語訳の詩を見て、こんなイメージだったんだって
あらためて、また好きになりました♪


Q5 バトンを渡す5人

もう、かなり手抜きっぽいんですけど
ここはこれで終了~。
バトンした人が負担になると申し訳ないので
希望する方がいましたら申し出てください。
ということにしたいと思います。
もちろん、希望される方がいましたら
こちらにリンクは貼らせて頂きたいです♪
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by himika-s | 2005-06-24 12:44 | 雑記 *
2005年 06月 14日 *
今回のお話は去年の8月に「奇跡体験!アンビリバボー」でも
放映されたものです。
それをなぜ今頃持ち出してくるのかというと
この話は、日本人が絶対に忘れてはいけないものだということと、
もう一つは、最近のニュースでは、隣国などの話が出てくると
そのたびに、いつも殺伐とした気持ちになってしまうので
心が温かくなる話を、もう一度、私自身が確認したかったからです。

まず、知っている人もたくさんいるかとは思いますが
簡単にお話を要約してご紹介しますね。
詳しい内容を知りたい人は
95年目の友情 彼等が日本を愛する理由 を見てください。

はじめの出来事は1890年9月のことです。
その日の和歌山県大島村の海は台風で大荒れでした。
そこで、トルコの軍艦エルトゥールル号は難破したのです。
エルトゥールル号は明治天皇への使節団として
横浜港に入港したのですが
その帰りに台風に見舞われ沈没してしまったのでした。

それを知った村人たちは必死の救助を行います。
犠牲者は587名になりましたが
それでも村人達により69名が救出されました。

その後も村人たちは必死に介護をし
食料に悩む村であるにもかかわらず
自分たちの非常食である鶏を怪我人たちに振る舞いました。

そして、この話は和歌山県知事から天皇に言上され、
さらには、当時の日本にも広まって
多くの義援金が寄せられ治療に当てられました。
その甲斐あって快復したトルコ人たちは軍艦「金剛」によって
トルコに帰還することができたのでです。

それから95年目の1985年3月。
イランイラク戦争は激化の一途を辿っていました。
イラクの首都テヘランには300人の日本人が滞在していました。
そんな中、当時のイラク大統領フセインは、
「3月19日午後8時をもってイラン上空を飛行する
すべての飛行機を撃ち落とす」という衝撃的な声明を出したのです。
タイムリミットは48時間しかありません。

そんなとき、対応に遅れピンチになった日本人を
救ってくれたのがトルコの人たちでした。
トルコの人たちは決して強制されたわけではなく
それぞれの人が自分たちの意志で
自分たちの危険を顧みずに、イラクに取り残された
300人の日本人を、無事にイラクから脱出させてくれたのです。

この話ですごいのは、やはり私たちのご先祖さまである日本人と
それ以上に、95年もたったいま、その恩を忘れずに
恩返しとして、危険な救助を無償で行ってくれたトルコの人たちです。

トルコの人たちは、自分たちがなにかをするときは
恩を返してもらおうなんて思ってない、
しかし、誰かに恩を受けたら、必ずそれは返すというのが
信条だということです。

私はトルコには残念ながら行ったことはないのですが
トルコに行ったことのある日本人に話を聞くと
誰もが口を揃えて、良いところだったと話してくれます。
それは、こんな背景があるからなのかもしれませんね。

この話を思い起こすと
隣国のことでつい心を痛めてしまう自分が恥ずかしくなります。

トルコと日本の友情はまさに昔の日本人が残してくれた
大切な遺産です。
遠くにいる顔は知らないけどステキな友人たちのこの話は
いつまでも忘れないでいたいです♪
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by himika-s | 2005-06-14 11:14 | 雑記 *
2005年 06月 09日 *
CSでニュースバードという、24時間ニュースだけを
やっているチャンネルがあるのだけど
先日、たまたまテレビをつけて、そのチャンネルを見ていると
「ゲーム化が進むアメリカの戦闘訓練」といったような内容の特集をやっていた。
はじめは、何気なく見ていただけだったんだけど
しかしそれは、とても驚くべき内容の特集だった。

いま現在、アメリカの戦闘訓練はリアルな3Dのゲームを使って
行われているというものなのだが
その戦闘訓練が、予想以上の結果を出しているという。
ゲームの中身は私もよくは分からないのだけど
アメリカの陸軍を舞台にしたもので
敵を見つけたときに反射的に手に持っている銃で相手の頭を打つというのが
ゲームの概要らしい。
逆に味方を打ってしまったときは、軍法会議にかけられ裁かれるという
とにかくアメリカ陸軍を忠実に再現したものらしいのだが。
目的は、先ほども書いたように、アメリカ兵の戦闘訓練なのだけど
要は人殺しを平然とできるようにするためのものということだ。

ベトナム戦争以前までは、初めて戦場で人を殺したときは、
15%の人はそれでも冷静でいられるらしいのだけど
残りの85%の人たちは、嘔吐をしたり、パニック状態に陥ったりしていた。
そして、次第に人殺しに慣れていくというパターンをとっていた。
しかし、イラク戦争では、このゲームを使った戦闘訓練によって
95%の人が、はじめて人を殺しても、
平然とそして冷静に戦い続けることができるようになったということだった。

このゲームを続けることによって、ほんとうの戦場に出たときでさえ、
人殺しがゲーム感覚と同じという
つまりゲームとリアルの区別がつきにくくなる「無感覚」というものと、
たとえば、光が点滅したときに右を向くという訓練と同じように
敵を見たら、相手の頭を打つという「反射的行為」というものを培わせるらしい。
反射的行為は、人を殺すという作業を行うときに
その行為が脳を通過させないため、考えるという事を完璧に排除できるらしい。

これによって、いま現在のアメリカ兵は最強で無敵になったいうことだった。

しかし、ここで、誰もが疑問に思うことがあるのではないのだろうか。
そうなってしまったら、それはもう人間ではないのではないかと…。

人を殺したとき、嘔吐を催したり、パニックに陥るというのは
それは、相手に与えた苦しみの何分の一でも、
自分も一緒に感じることができるからだ。
その人間的な感情が、何人も人を殺さなければならない戦争によって
麻痺させられ、慣らされてしまうだけでも、それは不幸なことなのに、
なのに、その人間的な感情が、たかがゲームによってでも
そぎ落とされてしまうという事実が、私は恐ろしく感じてしまった。

そして、命というものは確かにとても尊いものなのだけれども
でも、そんな人間的な感情を捨ててまで
生き残らなければならない戦争という事実が
私にはやはり理解できない。

私にとっての生きていく価値観というものは
人間として生まれた今生は、人間的に成長するだけではなく
分かりづらい言葉かもしれないけど
自分の本質である魂そのものを成長させることにあると思っている。

でも、相手の苦しみを感じるという感情をそぎ落としてしまうことは
私にとっては、それは魂の退化と感じてしまうのだけど…。

中国がチベットに攻め入ったとき
チベットの人たちは、自分たちや自分の仲間たちの魂を守るために
戦いを放棄して、ある人たちは中国軍に無惨にも殺され
ある人たちは、チベットという地を捨て、逃げ延びていったのだと思う。

しかし、それをすれば、自分の魂は守れるけれども
人間を捨てた人たちが、最強となって地球を支配していく…。
それって、いったい…。
自分の魂と同時に、私は地球も守りたい…。
守りたいけれども、それには自分自身があまりにも非力すぎるし
その方法論も、難しすぎるし…

……

なんだか混迷状態に陥ってしまいました。
このことは課題として、もっと深く考えることにします。
そして、自分のできることを少しでも考えていかないと…。



追記

この先、ゲームというものはオンラインゲームも含めて、
映画さえも抜いて、人々の娯楽の主流になっていくと私は思っている。
パソコンが映像も音も、今まで以上に質が向上し
ゲームの内容じたいも、ストーリーがもっと豊かに展開するようになってくれば
第三者の立場として映画を鑑賞していた時代から
自分が物語の主役となってストーリーを楽しめるという
可能性を秘めていると感じるからだ。

いま現在は、ゲーム事態が戦闘が中心で
この先どうなっていくか分からないし、このまま戦闘ものが
中心になっていくかもしれないけど
いずれにしろ、ゲームの流れを止めることはまず不可能だろう。

そうなったとき、ゲームによって人間としての尊厳を失わせないためには
ゲームの中で、人を殺したときの物理的、精神的ペナルティーを
きっちり与えるものを作っていかなければいけないと思う。
また、そういった厳しいペナルティをきっちり感じさせるものであれば
電磁波等の影響云々を抜きにすれば
人としての心を失わせるもの=ゲームということには
ならないと思うのだけど…。
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by himika-s | 2005-06-09 17:27 | 雑記 *
2005年 06月 01日 *
実は最近、少しだけ風水に興味を持ち始めました。
以前から興味があったといえばあったけど
ただマスコミに踊らされて、西に黄色を飾ってみる程度のことでしたし。

それが、この間、体調を崩したとき、
少し回復したときに本屋さんに行ってみると、目についた一冊の本が。
手に取って、中をぱらぱら見てみると
自分の家の風水と、そのとき体調を崩した原因みたいなものが
なんだか一致してるっぽい部分を見つけたので
さっそくその本を購入して家でじっくり見てみることにしたのです。

それがこの風水インテリア

著者は外人さんで、風水を逆輸入した感じなんだけど
それだけに、感覚的にではなく、合理的に解説されていて
すごくわかりやすかったんです。
写真もキレイだし、風水をはじめてみたいけど
専門的な本はちょっとわかりにくいなぁ、
という人にはピッタリの本だと思います。


それで、私自身がいま住んでいる家は
川がちょうど、ほぼ90度に曲がったところの内側に位置しているので
西と北が川に囲まれているといった感じのところです。
それまでは、それが他の家に隣接してない条件になっているので
静かに暮らせていいところだなぁ、なんて思っていたのですが…。

実は北と西に水があるって、好ましくないことなんですってね。
しかも、西に水があると、金銭や恋愛に関する問題が生じやすくなるとのこと。

お金のことは、私自身があまり考えないタイプで
かといってブランド品を買うとか、豪勢に遊びに行くとかいう
趣味がないので、困ることはなかったのですが
恋愛に関しては、ちょっと思い当たる節が…。

といっても、対象がいるわけでは当然ありません。
ダンナとうちのネコ以外には。

実は性器にあるといわれている第二チャクラが
少し動いている、という実感があったのです。
当然、対象がいないので特別な問題も派生はしないのですが
対象がいないだけに、第二チャクラが動き始めている
原因もわからなかったのです。

それが風水の本を読んでみて
環境による気の流れに影響されていたんだって理解できて
なんだかホッとしました。

私の場合、第二チャクラが動き始めると
誰か対象を求めるわけではないだけに
気力がなくなり、ウツな状態になってきます。

本来なら、呼吸法などで体の中の気をあげてしまえば
解決するのですが、忙しくて時間が取れなかったりすると
どんどん症状が悪化してしまいます。

そんなときのために、環境による気の流れにも
普段から気を使っていれば、楽に過ごせるんだって
理解することができてよかったです。

実は、新月の時のお願い事の中に
自然の中に存在する、ひとつひとつの意味合いを
理解させてください、ということも祈っていました。

それが今回、体調を崩したことがきっかけとなって
そのとっかかりを、ひとつ見つけたような気がして
体調崩れを喜んでいる部分があります。

風水を少しだけ勉強して感じたことは
基礎知識は当然、必要なのですけど
気の流れを体感で感じることができないと
ほんとにそれが、その人にとって必要なものかどうかは
わからないかもしれないということです。

なので、もっと気持ちを静めて
自分の中の気の流れだけでなく
環境から来る気の流れにも敏感になれるように
なりたいなと思うようになりました。


p.s.
5月7日の記事、途中でおわったままでごめんなさいです。
なんだか、まとめがうまくできなくて
そのうち、きちんとまとめることができたら、
続きを書けるといいなと、思ってはいるのですが
なかなか…、という状態です。(なみだ
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by himika-s | 2005-06-01 12:43 | 雑記 *
2005年 04月 18日 *
ここのところ、中国内での日本政府に対する抗議デモが
執り行われている様子を
連日、テレビで見かけるようになった。

これを見た、私の最初の印象は
ようやく日本のマスコミも
中国の実態を報道するようになったのかというものだった。

チベットが中国に武力で侵略したのが1959年前後。
その後、ダライ・ラマ法王をはじめとした
多くのチベットの人たちが祖国を追われ
インドやネパールに亡命しているという現実は
いまなお続いている。

そんな現実が、すぐ隣の国で行われているにもかかわらず
ほとんどの日本人が、その現実を知らずにいた。

その原因は、とうぜん日本のマスコミにあった。

真っ先に真実を知らせなければいけない立場のはずの
大手新聞社や某国営テレビ局さえ
中国の不利になるような記事を少しでも報道すると
中国政府から圧力がかかり、
北京に支局を置けなくなるという理由から
チベットのことはいままで、ほとんど日本国内で
報道されることはなかった。

真実を報道することのない報道に
なんの価値があるのか甚だ疑問ではあるけれど
こんな意見は部外者の理想論に過ぎなかったのかもしれない。

しかし今回、中国の標的がチベットや台湾などの他国ではなく
日本に向いてようやく、日本の報道陣も
中国の影の部分を取り上げることができたのだろうか…。


さておき、一説では中国がチベットを侵略した目的のひとつが
ヒマラヤの土に眠る石が目的ではなかったかと言う人もいる。

確かにヒマラヤの村に入ると
そこにはたくさんの天然大理石が、ただの石に混じって
石畳の階段に敷き詰められるほどに
大理石だけではなく、美しい原石が豊富に眠っているところだった。

中国はそれが欲しくて、チベットの人たちから
チベットの土地と、たくさんの命を奪い続けてきたのだろうか。

とすると、今回の日本への嫌がらせは
ガス田が欲しいのか、という印象も受ける。

私個人としてはガス田なんてどうでもいいのだけど
ただの物欲のために、たくさんの侵略を続けている国の
言いなりにだけはなって欲しくない。

できることなら、日本は中国とは同じ土俵にあがることなく
大人の対応をして欲しい。
そして、なおかつ、中国の圧力に屈することなく
毅然とした態度で臨んで欲しいなと思う。



追記:
かなり批判的な内容になってしまって
この記事を読まれた方の中には気を悪くされた方も
いらっしゃるかもしれないとかと思うと心苦しくもあります。
ただ、少しでもこういう主張をすることで
逆にチベットの人たちにチベットが返される日がくればいいなという
思いも込めてこの記事を書きました。
ほんとに小さな抵抗なのですけど…。
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by himika-s | 2005-04-18 14:01 | 雑記 *
2005年 03月 06日 *
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ふと見つけた言葉

ステキな記事だったので、
さっそくトラバさせてもらっちゃいました♪

私も最近、言葉ってほんとに大切なものだと
おくらばせながらつくづく感じてきていたところでした。

少し前の私は、心にもないお世辞とか
きれい事だけを並べた言葉とかが嫌いで
思ったことをそのまま言葉にして話しをていたのですが
でも、最近は少しずつ意見が変わってきました。

優しい言葉やきれいな言葉って
最初はそれがたとえウソだったとしても
ずっと話し続けているうちに、
自然に気持ちがそうなっていくんだって
心が言葉の後をついていく形だけど
最後には、それが本当の気持ちになってくるものだと
そう思うようになってきました。

きれいな言葉や優しい言葉を話すようにしていると
自分を取り巻く環境も少しずつ変わってくることも
最近、実感してきました。

優しさには、やはり優しさが還ってくるものだと感じます。

「言霊」という言葉を使うと
とても特別な神秘的なことのように感じますが
そうではなく、ふつうに言葉って
そういう意味でも力を持つものだと思えます。

少し話は飛躍しますが
虐待を受けて育った子供は
愛情を受けるということを知らずに育ってしまったから
その子自身の愛情も育つことができず
自分の子供が生まれたとき
自分が親に受けたのと同じようなことを
子供にも知らず知らずにしてしまうということを聞きます。

これは、本当に深刻な問題で
そう簡単に連鎖がきれるものではないと思いますが
でも、こんな場合でも
自分の子供に対して怒りや憎しみの感情が
出てきてしまったときでも
そこでいったん立ち止まって
ウソでもいいから優しい言葉をかけることができれば
最初はウソの優しさかもしれないけど
小さな優しさがお互いに伝播しあって
最後には本当の愛情が自分にも子供にも
目覚めてくるのではないかと思うのです。

でも、そんな風に思っていても
まだまだ優しい言葉を話せないことが多い自分…。
もっともっと言葉には
気を配れるようになりたいものです。
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by himika-s | 2005-03-06 12:53 | 雑記 *
2004年 11月 02日 *
最近では暗いニュースが続いて、気持ちがふさぎがちだったんだけど、
今日のお昼にテレビでみた山古志村での唯一のお医者さまである佐藤医師のお話は、
見ていて心が和んでホッとするものがあった。

村の人たちは、親身になって病気を治療し、たとえ夜中でも往診に駆けつけてくださる
佐藤医師に、誰もが口々にとても感謝していて、
佐藤医師が無理をしすぎて逆に体を壊さないか心配すらしていた。

一方、佐藤医師の方は、それに対しておごる気持ちなどみじんもなく、
村の奨学金によって医者になることができたのだから、
恩返しをして当たり前だというようなことを、謙虚に話されていた。

明らかにお金儲けのために医者になったのではなく、
ほんとうに病気の人を助けたくて医者になられたんだなぁって、素直に伝わってきて、
見ていて胸が熱くなった。

お互いに気遣いあって、お互いに支え合って、
お互いに感謝しあって生きていた村の人たち。
豪雪地帯でありながら、村を離れられない人たちの気持ちは、
こういうところにあるのかもしれない。

今回の度重なる災害で、村は壊滅状態だけど、
この美しい村が、できることなら再建できたらいいのにと、心から思った。

私ができることなんて微々たるものだけど、
もう一度、自分ができることを原点に戻って考えてみよう。


あいあいさんの新潟中越地震にトラックバックです。
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by himika-s | 2004-11-02 19:21 | 雑記 *